僕が誕生日に仕事をやめてから2か月になる。
いい日だった。パチンコでいう大当たりみたいなものだ。
もちろん僕のためだけに集まってくれたわけではない。
僕のフレンドがいて、その人たち同士で盛り上がっていて、
たまたまそれが僕の誕生日インスタンスだっただけだ。
でもそれは素敵な気分だった。
「グレート・ギャツビー」に出てくるパーティみたいだった。
そこでは歌や踊り、酒、酒に次ぐ酒の乱痴気パーティが毎晩開かれている。
もしくは「杜子春」でもいい。
僕がその祭りのホストだったのだ。
VRChatを始めて少しして、誕生日インスタンスというものを知った。
そこにたくさん人が来てくれるのが目標になった。
とても満足だった。
日付が変わってもその集まりが続いて、
満ち足りた気分で僕は寝た。
その日は僕が上司にガン詰めされて、仕事をやめようと決意した日だった。
次の日から有給をすべて消化し、今まで働いていない。
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社会人とは、社会に魂を売った人のことだ。
もちろん全部ではない。
彼らにも週に二日は休みがあるし、
その休日にBBQをしたり海にいったり、
あるいはゲームをしたりしている。
そして会社では会社の命令に従っている。
人は一日に35000回も判断をしているという。
会社員が毎日積み上げる判断のうち、大半は個人ではなく、
会社のルールに従って行われているだろう。
僕は会社の命令が嫌いだった。
僕が最後の日まで作っていたのはとんでもなくダサいサービスで、
全体的に使いづらくて、誰も使ってない機能がたくさんあって、
アクセス数も全然ない。
でも上司はその状況を都合のいいようにねじまげて、
目標は無事に達成されており、製品の行く末は明るいと報告していた。
僕はそういうのが大嫌いだった。反吐が出る。
上司は僕によく「ちゃんと考えて仕事をしろ」と言った。
僕はよく自分の作っているものが正しいのか、
している仕事に意味があるのか考えていた。
でもそういうことではなかった。
会社の命令は前提なのだ。
それをどう実現するか、自分で考えろということだったのだ。
大学を出てから結構経った。
たくさんの会社に入った。
やっとそのことに思い当たった。
僕はうまく魂を会社に渡せていなかったのだ。
学校でもそうだし、会社でもそうだ。
その命令が、その価値観が、その判断が、正しいのかばかり気になった。
実際にその命令をどう実行するかまでたどり着けなかった。
だから「やれ」と言われたら何も考えず、
とにかく仕事が完了しているみたいにして、
提出する癖があった。
上司からのレビューは二種類に要約できた。
「そんなこと自分で考えろ」と「わからなかったらすぐ相談しろ」だ。
どこに出しても恥ずかしくないダブルスタンダードだ。
そして、それこそが会社なのだ。
自分で考えろと言われたら自分で考えるべきだったし、
すぐ相談しろと言われたらすぐ相談するべきだったのだ。
僕は会社に魂を売れず、自分で判断していた。
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自分の頭で考えることこそが正しいと主張したいわけではない。
むしろ、きちんと会社に従って思考し、仕事のできる人はかっこいい。
それは脳の使い分けみたいなものだ。
会社にいるときは会社人間のスイッチを入れる。
会社の規範に従い、上司の命令を正確に実行する。
自分の判断は要らない。
家に帰ってきたら自分のスイッチを入れる。
ゲームで遊んだり、友達と話したり、お酒を飲んでYoutubeで時間を無駄にしたり。
僕はそういうのがヘタクソなのだ。
朝起きたらまず会社人間のスイッチを入れないといけない。
眠い目をこすり、顔を洗い、着替えて家から出る。
その時きちんと頭の中まで会社にしないといけないのだ。
僕はうまく切り替えられないまま、会社に着いて、
仕事のメールを確認して、何を言ってるんだろうなこの人たちは、
と紙を見て顔をしかめているプーさんみたいな表情をしていた。
まあとにかく、こういう切り替えの上手い人が社会適合者だと思っている。
社会に適合するのは素晴らしい。
一切冷笑する意図はない。
デカい船みたいなものだ。
よく勉強し、よい大学を出て、会社で働き、よい伴侶を見つけ、家庭を築く。
素晴らしいことだと思う。
できれば僕もそういう人生を歩みたかった。
どこかでうまいこと軌道修正し、
そのデカい船に乗り込めるんじゃないかとすら思っていた。
しかし船は随分先の方まで進んでいるし、僕は陸に置いて行かれている。
というか、港すらずいぶん離れた山奥にいるらしい。
山の上からは、たくさん人を乗せた船が遠くに見える。
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ここまで社会人と、社会人になれなかった僕のことを書いてきた。
ただ、これって人間ってこれだけではないなと思った。
社会に魂を売らなくても上手くいく人はいる。
例えば一部のクリエイターの人たちだ。
顧客がいて、その人に商品を納品しており、
社会人寄りの人もいるかもしれない。
しかし彼らは、自らの芸術性と向き合い、何らかを作り上げている。
会社員よりは自分でものを考え、自分で判断しているはずだ。
多分。
そして、社会に魂を売りつつも上手くいっていない人がいる。
社畜だ。
彼らは魂を会社に捧げ、しこたま働くが、
仕事から帰ったら飯食ってスマホを見て寝ることしかできないし、
土日は疲れを取るので終わる。
給料も安いので趣味に没頭することもできない。
彼らは彼らですごい。
僕は仕事が続けられないから。
気が付いたら、惨めな自我を手に、
決死の抵抗を始めてしまう。
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右上について長々と語り、
また左上と右下についても触れた。
そして最後、図でいう左下が僕と君たちの場所だ。
我々は社会に馴染めず、かといって自ら何かを作り上げることもできない。
それは個人的に生きるということが難しいからだ。
順調に育てば、人は社会に流されるようにして生きるようになる。
何となく、これは違うのではないかと思いながら卒業して就職する。
そのまま少しずつ自我をなくしていけば社会人になれる。
あるいは切り替えが上手ければ。
だが魂を持ったまま、川に逆らって、
自分の行きたい方に行くのはすごく難しい。
人間は生まれてから色々な人の影響を生きて育つ。
子供の時は学校に、親に、友達に。そして、メディアに。
どこまでが社会に植え付けられた常識で、
どこからが自分の考えたものなのかなんて見極められない。
そういうガラクタだらけの物置みたいなところから、
自分用のものを見つけてこれる人だけが、
どこにも魂を売らず、自分の考えをもって生きていけるのだろう。
そんなことに挑戦するなら就職した方が賢明だ。
上手くやれないにしても、とりあえず生活はできるし。
けど結局僕はまた無職に帰ってきてしまった。
宇宙を漂っている気分だ。
まだ酸素は残っているが、いつまで持つかもわからない。
窒息する前に、どこかにたどりつけるといいのだけど。